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静穏な雰囲気の徳恩寺恩田川の支流に沿っている真光寺長津田線道路の徳恩寺前かこどもの国線の恩田駅より見える左手の高台に徳恩寺はある。急な石段を登ると本殿がある。本堂の前には一本のアカシアが花盛りであった。正式には、高野山真言宗教摩尼延寿院徳恩寺である。横浜金沢の称名寺より等海律師が入り開基して以来、665年を超える古刹であり。近隣13ケ所の中本寺であったようだ。幕府よりも寺領七石の朱印受領の歴史があり往時の領主柳沢信伊(のぶただ)公より大名駕籠二丁を賜ったと言う。 本堂の開いた戸口より本尊の虚空菩薩を見ようとするが見えない。諦めていると女の声がして、堂内に入れて貰った。その女性と加勢と言う若い僧の案内で、柳沢信伊寄贈の大名加護を見た。有名な柳沢良保の一族で、ここ恩田領主の柳沢信伊が移封にあたって寄贈されたと言う。余り大きくはないレプリカも作って二つ展示してあって、レプリカは稚児を乗せるなど地域の行事に貸し出しているようだ。展示してある建物は、幼稚園として建てたが経営難で閉園したという。 本堂に戻って眺めると、庭に赤い鳥居が見え、聞くと柳沢信伊夫人より寄贈された念持仏の弁財天であるという。まさに柳沢信伊と夫人のゆかりの寺と言える。先程の女性は住職夫人、大黒さんらしく、お茶と茶菓を持ってきた。静かな開け広げた堂内で恐縮して頂きながら見ると、「自近自遠尋光集会」と高野山管長直筆の額があり、尋ねると先代住職はその縁でか高野山の事務長になり、今は若い子息が継いでいるという。 堂内には弘法大師の生涯の絵が巡らされて、持仏にも弘法大師座像がある。他に多くの持仏があって、旧小机領三十三所子歳観音霊場、武相寅歳薬師如来霊場ともなっている。 また本堂の前には、維新後の江戸城の取り壊しによって持ち出され庭石の寄贈もあり、地元の名主の句碑もある。その隣には法筐塔と聖母観音像があるとった具合に良く整備されている。
(文: 山本 文義, 写真: 山田 剛一)
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