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山門新装の満願寺

満願寺

 たまプラーザ駅よりバスで満願寺で下車し、三叉路の交差点に戻って剣山へ向かって左手の高台を上っていくと、金剛山成就院満願寺がある。宗派は真言宗豊山派で奈良の長谷寺が総本山である。関東の総本山は森のなかにある王禅寺である。かっての景観を裏山の森に感じて、新しく成った山門は閉じられて、左手の駐車場を通って通用門より入ったが、正に開発の波にもまれた寺の風である。

 閉じられた新装の山門に掲げられた扁額「金剛山」は鳥石山人こと松下鳥石の書を刻んだもの。江戸時代の書家であり、その風格を感じたが、山門ともども扁額も新しくなっており、本物かと疑わしく見た。通用門から境内に入ると、庭には一面スギゴケが植えられて趣がある。山門からの入口の左手に、十三の石仏が並ぶ。閻魔大王他のあの世の十王に三仏が追加されていて珍しい。

 スギゴケの寺庭には大師の銅像が立つ以外に目ぼしいものもなく、最近手入れしたような感じであるが、寺院の経歴は古いようだ。聞くところによると、満願寺は昔から「古くて格式の高い寺」と言い伝えられているそうだ。寺に元和2年(1682)の過去帳が保存されていると言う。また寺の本堂は間口8間、奥行6間で、寛政2年(1792)立替えの記録があるようだ。山門は本堂以上に古いと言われていたが、改装されて本堂と不釣り合いになっている。

 本堂の左手の高台の墓地にあり、石川村の自由民権家金子馬之助の墓があると郷土史研究家の横溝氏に聞いていたので探したが見つからなかった。金子馬之助は才能に恵まれて、東京に遊学し、福沢諭吉と知り合い、その交詢社の社員になりたりしたが、帰郷するや自由民権活動に入り、村の内外で活動して農業を省みなかったので、父親から勘当のような仕打ちを受けて、他家の養子になったが、満願寺に石川学校ができると教師の一人となって教育に励んだ。家業は弟が継ぎ、馬之助の没後は弟が引き取りこの墓地に埋められたという。過渡期に生きた男の一生でもあり、筆者も田舎を飛び出したので、感慨深いものがある。

 ついでに、墓地で歴代住職の卵塔を見た。14基並び、一番古いのが寛文4年(1664)の銘があり、ここでも寺の古さが分かる。

(文: 山本 文義)