地区一覧(C) あおば百景を探る会 |
杉木立の中の甲神社常磐橋を越えて、谷本川に沿って最初の道を左に道なりに進むと、左手に杉木立の中に甲神社が見える。なだらかな石段の正面に開発で建て替えられた本殿、左に社務所がある。同行の考古学者が縄文土器の破片を拾い、御神体は石棒と教えてくれた。神社の裏手の甲神社遺跡からは縄文中期や弥生後期の土器も出土しており、朝光寺原式土器との関連から、この地も朝光寺原古墳群の勢力圏と見られている。 甲神社の呼称は、石棒を剣に見立てたという説より、源氏滅亡後にこの地に逃げ延びて来た鴨志田一族が土着を決意し、兜などを埋めたと言う伝承によるのかも知れない。 近くの子の神社の御神体は鏡であり、こちらは石棒であるのはどうしてか。石棒は縄文時代、鏡は古墳時代のシンボル。また祭神も先方が国つ神系の大国主命、こちらが天つ神系の日本武尊と対照的である。いずれも実際の御神体と祭神のイメージが一致しないのも面白い。 また境内には、開発で集めれた地神塔、庚申塔などの古い石造物もあるので、縄文、中世、江戸時代と当地の移り変わりを想像するのも楽しいものである。改めて日本民族は、先住の縄文人と後から渡来の弥生人の混血であることを考えさせられる。 とにかく縄文時代以来人間が住んで、中世にも由縁のある場所であって、神社があり、境内が杉木立で今に守られていることは素晴らしいことである。甲神社は鴨志田地区の今に残る鎮守の森であり、古木名木として指定の杉が一本あり、この環境を大切にしたいものである。 なお、神社の後方には土塁がつづくが、中世の屋敷の外壁跡と言う人もいる。それは、神社の裏手の方に開発で屋敷墓地が移された集合墓地があって、その中に寛元2年(1244)の銘の入った板碑が保存されているからでもある。鴨志田と言う地名は、鎌倉時代の武将鴨志田氏に由来し、その子孫による供養碑とされる。大きな形(高さ133cm. 巾5.2cm) 、県下最古と言われ、横浜市化財に指定されている。
(文: 山本 文義, 写真: 山田 剛一)
|