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朝光寺と幻の朝光寺原遺跡

朝光寺

 市が尾駅より上麻生道路を横浜に向かって田園都市線と東名高速道の間の左手の台地に白玉山朝光寺がある。朝光寺は約450年前に相模の国遠藤村の寺の末寺として創建され寺の名は開基の上原某の法名に因る。今もその墓石は残るが、明治32年の火事で焼失し仮本堂であったが、開発の際今の本堂に建て替えられた。曹洞崇の簡素な寺である。

白玉山朝光寺の由来

 この寺は谷本川の右岸流域にあり、同じ台地に朝光寺原遺跡があったが、今は幻となった。朝光寺原遺跡には古墳が3基、1号墳は大型円(径約32m)で遺体には鉄鎧と眉庇付冑、鉄剣鉄製など武具を主体とした5世紀後半の副葬品が出た。2号墳も円墳(径約23m)だが、馬具も伴うので6世紀後半、3号墳(径約20m)は6世紀前後。被葬者は武人的性格の強い首長者とその直系と見られる。稲荷前古墳との関係は、年代的に見て谷本川流域の支配権が稲荷前古墳集団よりここに移動しながらも、一つの政治集団として機能していたと言う。もう一つ注目されるのは、縄文中期と弥生中期後半か後期末の集落と方形周溝墓、独特の朝光寺原式土器、更には奈良時代以降の掘建柱建物が発掘されたことである。しかしこれらの遺構は宅地開発で全て破壊された。横浜市立博物館に隣接する大塚・歳勝遺跡(国指定)で弥生期大集落とその方形周溝墓を残したとはいえ、ここの一部を残さなかったのは大きな損失である。近くの市が尾町公園に朝光寺原遺跡の標識はあるが、青葉区の古代遺跡が宅地開発の犠牲になったことは銘記すべきである。

幻の朝光寺原遺跡
(文: 山本 文義, 写真: 宝田 国人)