あおば百景

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重文の秘仏のある古い真福寺

 江田駅を降りて246に沿って左手に荏田城址の森を見て、直ぐ右手に曲がると養老山真福寺がある。旧荏田宿の一画にあり、イチョウやカヤの古木が残る真言宗豊山派の寺である。創建は不明であるが、絵馬には1800年前後のものがある。小机城領三十三観音の一つであるので、その資料によると開帳は1716年とある。本尊の千手観音は藤原時代(1100年頃)の銘があると言う。奈良時代には江田駅あたりに群衙があった(長者原遺跡)ことを考えると、荏田には相当古くから寺があったのかも知れない。

 もともと真福寺は現在の荏田自治会館の地にあったが、大正11年に字原根にあった観音堂移り、観音堂を本堂にしたと言う。寛政年間に建立された本堂の正面には、子歳に開帳される千手観音立像(秘仏)があり、県の重文となっているが、もともとは観音堂のものである。右の阿弥陀如来像も近くの廃寺となった無量寺から移されたもので、真福寺本来の本尊は寅歳に開帳される左の虎薬師座像(秘仏)であるという。

 本堂内には絵馬の他、各種の額が奉納されている。柳沢吉保の孫にあたる大和郡山藩主の直筆「園通閣」、北斎の弟子の絵、俳句の額、和算の額等々200点を超え、近く市の指定を受けるものがあると言う。

 もう一つの本尊は阿弥陀如来立像で、鎌倉初期の作。京都清涼寺の本尊を模したもので涼寺式釈迦と呼ばれ(県内では3件)、大正8年に国の重文に指定されている。もとは近くにあった釈迦堂から移されたもので、今は別棟に安置され、毎月八日に開帳されるが、四月の花祭りは甘茶が振る舞われ賑わう。その時の壇信徒のお接待も有り難い。

 本来は薬師の寺であったが、釈迦も観音も他より受け、その後も浄土真宗派心行寺より「双盤念仏」を継承しているのは、宿場町のおおらかさによるものであろうか。渡辺華山が泊まって当地の人と俳句をつくったと言う、往時の文化の高さを思うのも楽しい。

(山本 文義)