あおば百景

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重文の牛込獅子舞が残る驚神社

驚神社の鳥居

 西勝寺より早淵川沿いの道をゆくと左手に山内小学校が見えるが、そのあたりは旧山内村の役場跡であり、道沿いの町並に古い面影を感じる。そういう雰囲気に浸って歩くと左手に驚神社が見える。参道には石の鳥居あり、二の鳥居は朱の木製で珍しい。桜、檜の混じる並木がつづき、急な石階段を登ると正面に驚神社の本殿が建つ。かっての森の裏山は壊されてマンションに代わり、裸にされた本殿を見ると痛ましい感じがする。

驚神社本殿とマンション

 境内の由縁によると、創立は不詳であるが石川牧の鎮守とある。この地域は古くは牧場があり、神社の名が馬の字と関係があることから、驚神社の由来が説明される。石川村の鎮守であった故か、秋祭りには矢淵川の上流の谷戸(保木、平川、荏子田、船頭牛込)の社から神輿と山車がこの驚神社に集まる。その時に奉納されるのが牛込獅子舞である。

 牛込獅子舞は疫病の予防と豊作を祈っての踊りと言うが、一匹の雌獅子を巡る二匹の雄獅子のさや当てのような踊にも見える。舞は延々とつづくが、途中休憩に入り獅子の頭が脱がれると、幼い小学生の顔が出る。20歳以下の長男か踊る取決めがあり、その練習も大変なようだが、横浜市の無形文化財であり、今後も保存しつづけることを祈りたい。

 もともと、牛込獅子舞は上流にある神明社に伝わるもので、古老の話では朝鮮系のものとあるが、境内の標には川崎市高津区初山の獅子舞と酷似し、18世紀に移入されたが、関東一帯に分布する頭と同型と間接的に記してある。馬に関わる神社であり、祭神は素佐鳴命であり、朝鮮系と記す鉄神社の獅子舞と考え合わせると大陸との関わりが窺える。

(山本 文義)