あおば百景

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一つの森に二つの御嶽社

御嶽神社(裏)

 満願寺のバス停よりバス道を進んで、直ぐ左の道を行くと、右手に森が見えて鳥居がたっているところが一つ目の御嶽社である。鳥居を潜ると、こんもりとした森の正面に小さな社が立つ。小さいながらも奥殿がある。掲示によると、寛文11年(1671)、元禄17年(1704)、明治14年(1881)の三つの棟木が見つかったと記すので、創建や改築の年代を知ることが出来る。また天保5年銘入りの太鼓もあったようである。拝殿は間口2尺2寸、奥行5尺1寸で奥殿がつくが、何故か祭神のことは記されていない。

御嶽神社(表)

 20メートル程行くと、家はなくなり、やはり右手の畠より高い森に二つ目の御嶽社があった。小さな祠のような社である。やや新しい鳥居をくぐり進むと地主さんが境内の草刈りをしていたので、祭神のことを尋ねたが、皇大神宮系というのみで要領を得ない。御嶽山に係わるかと聞いたら否定した。どうして二つになったのか、将来一つに再統合しないのか等々尋ねたが明確な回答はなかった。ただ信用できぬ人の手に渡せぬ、こちらが表御嶽社であちらは裏御嶽社、氏子もこちらが多いという。自尊心の程は良く分かった。

 小さな一つの森に二つの御嶽社があるのは、過去に村の対立があり、村分かれして御嶽社も二つになったと、かって案内された郷土史研究家の横溝氏に聞いたことがある。頑固な思想は今も受け継がれていると見えて、この地区は開発反対で、お陰でこの森と畠が残っているようだ。巡りの住宅街に残るこの農村風景は今や有り難い存在で言える。

 神奈川神社誌(神奈川神社庁)で調べてみると、二つの御嶽社ともに祭神は日本武尊とある。日本武尊が東国の征伐に当たって伊勢神宮の斎宮の姉に会ひ、景行天皇に何度も遠征を命じられると愚痴を言うくだりがあるので、皇大神宮との関わりがないこともない。

 谷本川流域の今はすすき野にある御嶽神社も祭神は日本武尊である。鶴見川流域に多い杉山神社の祭神はスサノオノミコトの子五十猛命または日本武尊であるが、御嶽神社は日本武尊のみである。スサノオノミコトと五十猛命は朝鮮より樹木を持ってきたとの伝えがあり、また猛き親子である。東国征伐に武勇を振るった日本武尊と五十猛命を重ね合わせて、杉山神社の祭神としたかと想像して楽しんでいる。

(文: 山本 文義)