あおば百景

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桜の覚永寺と近くの桃畑の景観

 あざみ野駅またはたまプラーザ駅よりのバスで覚永寺で降り、早淵側を渡ると右手に大きな石灯籠が一つ立っている。徳川期の立派なもののようだが、どういう経緯で在るかは定かでない。その道なりに行くと、右手に覚永寺への参道があり、桜の大木の下の掲示板「たった一言が人の心を傷つける。たった一言が人の心を温める」を諾ひつつ、石の階段を登ると左手に覚永寺の本殿がある。

 住職に聞くと、昭和42年に東京の赤坂の都市開発の時に移って来たと言う。筆者の妻の墓地のある成満寺(聖蹐桜が丘近く)もそうだと話すと、成満寺の住職とは知遇であると聞き、親しみを覚えた。寺の創建は古く、織田信長の本願寺攻めの際に寺側に味方した武士によって、武州赤坂一ツ木に文録3年(1594年)に創建された。およそ410年前である。正式名称は浄土真宗本願寺派清涼山覚永寺で、東京大空襲で赤坂の寺は焼失したが、阿弥陀本尊は焼失を免れ、今鉄筋コンクリートに新装のこの本殿に安置されている。今回尋ねた時は、例年より桜の開花が遅れ未だ二三分咲きだが、休みを利用して子供のため、早めの花まつりを催していた。東京生まれのらしい住職は、「江戸時代を考える」をテーマに毎月2回、文化講座を開き一般の来聴も歓迎している。意欲的な寺である。

 本殿の裏の墓地は一段高く、そこからのたまブラーザ四・五丁目の住宅地の眺望はよい。ふとここを終の住処との思いが湧いた。

Kakueiji Temple

 最初に来た時の満開の桜を想像しながら寺を去って、道なりに登ってゆくと左手に竹林がつづき、その果てに素晴らしい桃畑の風景が見られる。畑のめぐりに椿、白木蓮、エドコヒガンなども咲き、まさに懐かしい村里の風景である。

 更に、畑を区画して整備された道を行くと一面のハナモモの畑へに出合う。丁度満開の時で、桃見の客で賑わっていた。百本を超える程の桃畑は自由に入ることがてき、花の中に身を置いたが、桃の香りはあるかなしか分からぬ位だ。しばし心を癒して、桃畑を出てめぐりを歩くと、あたりも植木畑で、その中に桃がありエドコヒガンがあり、市民菜園があって、近くに一本の枝垂れ桜もあるといった風景である。

 この桃畑のハナモモは切り花で商売にするようでもない。植木を植えた税金対策かもしれぬが、開発を免れてこのような花園が残されていることは、青葉区民にとっては有り難いことである。何はともあれ、この景観がつづくことを願うのみである。

(文: 山本 文義, 写真: 山田 剛一)