あおば百景

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社殿の彫り物が見事な平川神社

平川神社の鳥居

 覚永寺と早淵川を挟んで対岸の台地にあるのが平川神社である。たまプラーザ駅より平川のバス停で下車すると、右手に小高い森が見え、石段を上って行くと左に公園があり、右に平川神社がある。

 掲示には創建は不詳で、昔神猿が悪さをし殺され祟りを恐れ祀った、祭神は猿田彦尊とある。何だか作り話めいている。郷土研究家の横溝清氏の研究によると、祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)(山王権現)と猿田彦尊とあり、納得できる。大山咋神はスサノオノミコトの子大年の神の子で、近江の日枝の山(日枝神社)に、また葛野(カヅノ)の松の尾(松尾神社)にいると言う。この神が主神であると思うが、早淵川下流の驚神社の祭神はスサノオノミコトであり、そこに早淵川流域の神々が奉献行列をくむ理由が分かったような気がする。横浜の鶴見川流域には杉山神社が多く、その祭神の多くはスサノオノミコトの子の五十猛命である。広く関東に多い氷川神社の祭神はスサノオノミコトである。このことは何を意味するか。出雲系の神を信仰する人らが関東へ進出したとも言える。しかし、スサノオノミコト信仰は出雲だけのものでなく、近畿(熊野)にもあったようであるから、東海方面からの進出とも考えられる。古事記を読んでいると、色々と想像できて楽しい。

平川神社

 社殿は王禅寺の琴平神社に模して造ったと言われ、琴平神社が文化元年(1804)なので、数年遅れるとして約200年の古さである。社殿を飾る彫刻も良く似ているそうだが、正面には二つの竜が向き合っていて、左右の柱には獅子が内側に振り向いて彫られている。拝殿の外部の欄間には松、鳥、花、獅子、竜などか彫りつけられ、そして拝殿の袖の部分には左右一対の鷲が彫られていて、見事なものである。このような社殿をつくった氏子の心意気と財力を思った。しかし、今は財力がなくなったのか、拝殿と奥殿にくっつけてた倉庫らしきものは新建材で、新旧のコントラストが目立つ。

彫刻 彫刻

 境内の隣の公園より眺めると、狭い平川の谷戸の景観が一望出来る。今は都市化で家がひしめいているが、この狭い耕作地の生産力※だけで立派な社殿は出来たのだろうかと思う。

※石川の生産緑地申請状況(平成4年度)──横溝潔 著「山内のあゆみ──石川編」より引用
保木: 42.101m2, 荏子田: 18.875m2, 牛込: 0.916m2, 下谷: 15.669m2, 平川: 4.831m2, 船頭: 1.483m2, 中村: 23.793m2  計: 107.668m2

 しかし10月10日の平川神社の祭礼のあと、他地区ともども驚神社への奉献行列の中での軽快なテンポの平川ばやし、ライトブルーの法被を着た若者が担ぐ神輿を見て、平川神社を守ってきた意気込みを感じたことを思い出した。今は青葉区一とも思われる平川神社の社殿と祭り行事をこのよな心意気で、今後も維持していただきたいものである。

平川神社から見える夕暮れ風景
(文: 山本 文義)