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珍しい家形の荏子田横穴古墳

荏子田横穴古墳 入り口

 満願寺のバス停よりバス道を進んで、最初の右折の道なりに行くと右手に荏子田朝日公園があり、その入口のアーチに荏子田家形横穴と書いてある。公園に入ると直ぐ左手にその横穴古墳が見える。掲示によると、ここは早淵川上流の南岸丘陵南側面で、古墳時代から奈良時代にかけての有力豪族の墓とある。二基あってこれが2号墓だが、1号墓は壊されたのか見当たらない。

 眼前の2号墓は鉄柵があって近づけず、管理が悪いのか開いた入口にかけて篠竹がほしいままに自生して内部の様子は明らかでないが、玄室の天井が家形になっているのは見える。

荏子田横穴古墳

 調査によると、羨道は幅約1.2m、高さ約60cm、長さ約2.5m。玄室は奥行約3.7m、幅3.2m、高さ約1.6mの家形で、棟木、桁、など浮き彫りにして生前住んだ家の形に模しているように思われる。この古墳は盗掘にあってか何も出なかったが、珍しい家形横穴として横浜市の指定文化財になっている。

荏子田横穴古墳のパネル

 ここの古墳は早淵川上流の南岸丘であるが、更に上流の保木の段丘には縄文時代の遺跡があり、今はたまプラーザ西の住宅地になっているが、下流の方に行くと、同じ南岸に赤田古墳群や矢崎山遺跡(荏田町)があるなど、早淵川流域も古代より人が住んできたことが分かる。しかし、古代人は先住者の跡は残して住み継いで来たが、現代人はそれらを皆壊し家を建てているのには問題を感じる。

 別の機会に、少し下流のやはり南岸の慈眼堂跡の段丘から、横穴古墳とその上に円墳が発掘されたのを見たことがある。福祉施設を建設しようと整地を初めて上部から水晶の飾りが残る円墳が見つかり、下部から横穴古墳も発掘されたのである。この地域の豪族と下位者の墓か、又は薄葬によって横穴になったのかは、調査結果の発表を待つしかない。

 この荏子田横穴古墳のように、珍しいものは僅かに残されているが、多くは破壊されたままである。壊さなければ、増加する青葉区民の住むところはないので、壊してもせめて遺跡のあった標だけでは立てて貰いたいものである。その標識を目処に古代を訪ねて回り、住宅地として利用できる幸せを心に思いつつ、友と語らうとともに郷土史を学ぶ機会としたいものである。

(文: 山本 文義)